s-l400.jpg,s-l1200.jpg,Seleucia, Antiochos III - Ancient Greek Coins - WildWinds.com,s-l400.jpg,CILICIA, Mazaeus Baal of Tarsus AR Stater, 361-328 BC silver,Antiochus III アンティオコス3世 NGC Choice AU テトラドラクマ 銀貨\r\rアンティオコス3世はセレウコス朝創始者セレウコス1世、セレウコス2世を継承する、セレウコス朝の君主。 在位223−187BC\rセレウコス2世の息子アンティオコス3世は、兄弟のセレウコス3世が暗殺されたのちに即位。\r\r即位した時、セレウコス朝は危機の中にあり、既にアルサケス1世率いるパルティアや、ギリシア人の指導者ディオドトス1世のグレコ・バクトリア王国が分離。セレウコス1世が征服した領土は大半が失われていました。\r\r10代で即位したアンティオコス3世は、まず内部での反乱を鎮圧、その後、失地回復を目指しました。219BC以降、エジプト下のパレスチナ地方に進軍し(第4次シリア戦争)征服地を拡大しましたが、217BC、エジプト王プトレマイオス4世との ラフィアの戦いで完敗しました。\r\r212BCから開始された東方遠征では、アルメニア王クセルクセスを服属、さらにパルティア王アルサケス2世に勝利、これによって宗主権を得たのち、206BC、グレコ・バクトリア王エウテュデモス1世も遂に降伏してセレウコス朝の宗主権を受け入れました。\rこうして、失われたセレウコス朝の東方領土に宗主権を確立したアンティオコス3世は、アレクサンドロス大王の再来と呼ばれ、大王を名乗るようになりました。\r\r204BC、アンティゴノス朝マケドニアの王ピリッポス5世と同盟を締結。ついに202BCにはエジプト領ガザに侵攻(第5次シリア戦争)。200BC、パニオンの戦いにおいて大勝利を収め、ついにパレスチナ方面に進出しました。\rアンティオコス3世はさらなる拡大のため、ペルガモン王国への進出を目指します。ギリシアの諸小国は、共和政ローマに支援を求めました。\r\r191BCにテルモピュライの戦いで両軍は激突、その後、再び軍を整えてローマに相対しましたが、マグネシアの戦いでローマ軍に決定的な敗北を喫し、アパメアの和約を結んでローマと講和しました。この敗北によりパルティアやバクトリアではただちに離反が始まりました。このような情勢の中で、彼は187BCに暗殺されました。そして息子のセレウコス4世が王位を継ぎました。\r\rコインはNGCにて鑑定済みです。また、N G Cのホームページからも、このコインの詳細を確認できます。